お知らせ
2025.09.27
藤田東湖書「麗澤(れいたく)」を特別公開します。令和7年10月1日(水),2日(木)
藤田東湖(1806~55)は斉昭のブレーンとして,側用人など要職を務め,斉昭の推進する天保改革に尽力しました。「弘道館記」の起草をしたのも東湖です。
東湖はペリー来航(1853)を機に,幕府の海防参与となった斉昭を補佐するため,江戸勤務を命じられ,多忙の日々を送っていました。その頃,「文久の三博士」と称された芳野金陵・安井息軒・塩谷宕陰と親交を深めていくようになり,安政2年(1855)10月1日に金陵宅に酒宴に招かれました。東湖が金陵宅を去るとき,2人は互いに書を贈り合ったといい,東湖から金陵に贈られた書がこの「麗澤」です。
その翌日に大地震が江戸を襲い,江戸の小石川にある水戸藩邸にいた東湖はこの地震により亡くなりました。
麗澤という言葉は「友人同士がお互い助け合いながら学ぶこと」という意味で,東湖と金陵の絆の深さが示されています。




