歴史・年表

歴史・年表

歴史

水戸藩の成立

水戸藩は、慶長14年(1609年)徳川家康の第11子頼房が水戸に入封して成立しました。水戸藩の基礎は、初代頼房から2代光圀の時代に築かれ、城下町の建設、家臣団の構成、藩の支配体制などが整えられました。特に光圀は、藩政に力を注いだだけでなく『大日本史』の編纂など大規模な文化事業を展開しました。

徳川斉昭と藩政改革

第9代藩主徳川斉昭は、崩れゆく封建体制と困窮した藩財政の立直しをはかるため、「天保の改革」とよばれる藩政改革を推し進めました。改革の要点は、経界の義(田畑の経界(境界)を正す意味から全領検地のこと)、土着の義(藩士を水戸城下から農村に移して土着させ武備の充実をはかること)、学校の義(藩校や郷校を建設すること)、惣交代の義(藩主や家臣の一部が江戸に常住している「定府制」を廃止すること)の4項目でした。弘化元年(1844年)、斉昭は社寺改革など行き過ぎた政策を理由に幕府から致仕謹慎を命じられますが、嘉永2年(1849年)水戸藩政への参与を許され、同6年(1853年)ペリー来航を機に幕府の海防参与となり、ついで政務参与になります。しかし、攘夷論を強調した斉昭は、幕閣と意見があわず、安政4年(1857年)に免ぜられます。この間、斉昭は水戸藩の「安政の改革」を進め、軍備の充実と教育の振興を柱に、農兵の設置、反射炉の建設、郷校の増設など諸政策を実施しました。

藩校の設立

藩政改革のなかで特に斉昭が意を注いだのが藩校弘道館(こうどうかん)の建設でした。斉昭は藩主就任後はじめて水戸に帰国(天保4年)した際、城中にあった『大日本史』の編纂所「彰考館」を訪ねるなど、藩校建設に積極的な姿勢を示しました。この頃は、天保飢饉で不安が高まり、藩財政もさらに困窮化し、藩校の設立には反対意見も多くありましたが、斉昭は方針を変えず、天保6年(1835年)に幕府から向こう5年間、毎年5000両の金が下賜されることが内定すると計画の実行に踏み切りました。
弘道館が建設された水戸城三の丸の地には、もとは重臣たちの屋敷がありました。重臣たちの屋敷を移転させてまで、城内三の丸に藩校を建てたことからも、斉昭の学問による人材育成への意欲が分かります。

<弘道館建設前>

天保初期の水戸城絵図

<弘道館建設後>

嘉永3年の水戸城絵図

弘道館の開館と拡充

弘道館の建設工事は、天保11年(1840年)から開始され、翌12年7月に一応完了し、8月1日ついに仮開館の日を迎えます。施設の整備は引き続き行われ、天保14年6月には医学館が新設されました。天保12年の開館を仮開館と呼んでいるのは、学則など制度上の不備が残っていたこともありますが、特に鹿島神社への鹿島神宮からの分祀遷座と孔子廟への孔子神位の安置が共に済んでいなかったことによります。本開館は安政4年(1857年)5月9日、仮開館から15年あまりの年月を要してかなえられました。

弘道館全図
< 弘道館全図 >

弘道館の教育制度

弘道館の入学年齢は15歳です。それまでは藩指定の家塾で素読を学び、15歳になると家塾の教師が保証人となって入学願を提出し、指定の日に登館して『論語』や『孝経』などから出題される講読の試験を受け、合格すれば講習生として入学が許可されました。入学の許可は、3・8日または5・10日に随時実施されていましたが、安政4年(1857年)の本開館からは入学式次第が定められました。生涯教育を原則とし、卒業はなく、40歳以上になると通学は任意とされました。身分別に毎月の最低の出席日数が、15日間、12日間、10日間、8日間と定められており、身分の高い者ほど登館すべき日数が多くなっていました。
学科は、儒学や歴史のほかに歌学、天文、数学、地図、音楽等の選択科目がありました。
武道については、江戸の剣客斎藤弥九郎、千葉周作などが特別講師のようなかたちで招かれ、さらに金子健四郎(無念流)、海保帆平(一刀流)などの剣客を召し抱えて師範とし、剣術、槍術はもとより、兵学、射術、馬術、水術などの多彩な科目を教授しました。
試験は、月2回の試文の試験のほかに年1回秋の文武大試験がありました。文武大試験は藩主自らが臨席して行なわれ、成績優秀者は表彰を受けました。文館の生徒数は、多いときで1,000人位といわれています。
独自の教育方針で他藩にまで多くの影響を与え、人材の育成に貢献した弘道館も、明治5年(1872年)8月の「学制」発布により閉館となりました。

弘道館の閉館と近代のあゆみ

幕末維新期の水戸藩は、藩内抗争が広がり、弘道館の教育にも影響が及びました。明治元年(1868年)10月1日、藩内抗争の最後の激戦といわれる弘道館の戦いが起こり、文館、武館、医学館などが焼失しました。その後、明治5年(1872年)8月の「学制」発布により、弘道館は30年余にわたる藩校としての役割を終えました。
明治・大正期の弘道館は、茨城県庁舎や幼稚園、小学校や高等女学校の仮校舎として使用されました。敷地は明治14年(1881年)に市民の切望により公園認可を受け、大正11年(1922年)に史跡指定、戦後の昭和27年(1952年)には特別史跡指定、同39年(1964年)には創建当時から残る正門・正庁・至善堂が重要文化財指定を受け、藩校当時の姿を今に伝えています。

< 弘道館写真(県庁がおかれていたころ) >

年表

文政12年(1829年) 10月 徳川斉昭が水戸藩9代藩主となる。
天保11年(1840年) 3月 弘道館の建設が着手される。
天保12年(1841年) 7月 弘道館の建設が竣工。
8月1日 仮開館式が挙行される。
天保13年(1842年) 7月1日 偕楽園が開園される。
天保14年(1843年) 6月 弘道館内に医学館が開設される。
安政 4年(1857年) 5月9日 弘道館の本開館式が挙行される。
万延 元年(1860年) 8月 徳川斉昭が水戸城中で没する。
明治 元年(1868年) 4月 徳川慶喜が弘道館で謹慎する。(~同年7月 )
10月 弘道館の戦いで文館・武館・医学館などを焼失する。
明治 4年(1871年) 7月 廃藩置県により水戸藩が廃止される。
弘道館は陸軍省所轄(国有)となる。
明治 5年(1872年) 1月 弘道館に茨城県庁が置かれる。(~明治15年)
8月「学制」が発布
12月 弘道館が閉鎖される。
明治 8年(1875年) 太政官布達により公園に指定される。
明治14年(1881年) 3月 茨城県の管理となる。
5月 弘道館跡地の公園認可。
明治22年(1889年) 1月 水戸幼稚園園舎として使用される。(~大正10年)
明治25年(1892年) 10月 管理が茨城県から水戸市に移管される。
明治27年(1894年) 4月 水戸市高等小学校(現水戸市立三の丸小学校)の分教室として使用される。(~明治28年)
明治33年(1900年) 4月 茨城県高等女学校(現茨城県立水戸第二高等学校)の仮校舎として使用される。(~明治36年)
明治42年(1909年) 11月 水戸市高等小学校(現水戸市立三の丸小学校)へ敷地の一部が分割譲渡される。
大正9年(1920年) 4月 公園管理規則制定(県告示153号)。管理が水戸市から茨城県へ移管される。
大正11年(1922年) 3月8日 「旧弘道館」が史跡に指定される(官報第2877号・内務省第49号)。
昭和7年(1932年) 2月 県営公園管理条例(県告示第76号)等制定、「弘道館公園」となる。
昭和20年(1945年) 8月 2日 水戸空襲で八卦堂・孔子廟・鹿島神社などを焼失する。
昭和27年(1952年) 3月29日 「旧弘道館」が特別史跡に指定される(文化財保護法)。
昭和28年(1953年) 11月 八卦堂復元工事竣工。
昭和32年(1957年) 6月 茨城県都市公園条例(条例第26号)制定、都市公園に指定される。
昭和34年(1959年) 11月 特別史跡旧弘道館修理工事(昭和の大修理)が始まる。昭和38年3月 竣工。
昭和39年(1964年) 5月26日 正門・正庁・至善堂が重要文化財に指定される(文化財保護法)。
昭和44年(1969年) 8月 孔子廟復元工事が始まる。(昭和45年10月竣工)
昭和49年(1974年) 9月8日 茨城県国民体育大会に際し、皇太子皇太子妃両殿下行啓。
10月20日 茨城県国民体育大会に際し、天皇皇后両陛下行幸啓。
平成18年(2006年) 10月5日 全国生涯学習フェスティバルに際し、秋篠宮殿下お成り。
平成23年(2011年) 3月11日 東日本大震災発生。翌12日から閉館。
10月8日 部分公開が開始される。
11月30日 第1回旧弘道館復旧整備検討委員会が開催される。
平成24年(2012年) 2月18日 第10回全国藩校サミットin水戸が開催される。
4月3日 築地塀修復工事開始。11月28日 竣工。
5月23日 孔子廟復旧工事開始。12月18日 竣工。
12月17日 旧弘道館災害復旧工事開始。
平成25年(2013年) 6月19日 国老詰所他耐震補強工事開始。
11月18日 弘道館記碑復旧。
平成26年(2014年) 3月27日 弘道館全面復旧。
平成27年(2015年) 4月24日 弘道館が日本遺産「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」(文化庁)に認定される
平成29年(2017年) 3月 国指定特別史跡「旧弘道館」保存活用計画策定。

 

 

弘道館についてのお問い合わせ

茨城県水戸土木事務所 偕楽園公園課 弘道館事務所

〒310-0011 茨城県水戸市三の丸1-6-29
電話番号:029-231-4725 ファクス:029-227-7584 e-mail:kodokan@pref.ibaraki.lg.jp